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三原最新情報NEWS

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オジャンな学生達。

2008/03/15 Sat
画像 648x486 68533byte何ヶ月かかかって東高校の創立50周年記念アルバムが出来上がった。

地元の人なら良く知っているが、東高はえらく寒い所に立っている。
三原高校と比べればおよそ2〜3度は違うくらいにその当時は感じていた。もっと言うならその30年ちょっと前までは、「お前、三原は難しいかもナ・・・」って先生からおどされた連中が安全策をとって東高に進路を決めていたものだった。
あの当時は偏差値で言ったらいくら位差があったのだろう?
もちろん今は選ぶ選ばない、学区も何とか制度なんかで一概に昔と比べたらいけないが、確かにその寒いと感じた体感温度の違いがイコールあんまり勉強しなかったバツかなとも思いながら背中を丸めて通学していた記憶もある。

仕事で以前にも何回か校内には入っていたので、取り立てて感慨深いものもなかったけれど校舎や体育館、プールは自分が通ってた当時のままだ。

すれ違う学生達も驚くほど良く挨拶をしてくれる。
大人たちが変な先入観で警戒してるだけで、中々どうして良く教育されてるじゃあないか! 
アルバムの打ち合わせの何回目かでは、なにやら先生が生徒に大きな声で怒鳴っている。 廊下で女の先生が女子学生にオラんでいる。
「ひゃ〜、イイゾ〜! センセ〜〜イ。」

それにしても一体何時からブルマーではなく、ジャージを単に切り落としただけみたいな味も素っ気もない体育着になったのだ。
動きにくいではないか。 蒸れるではないか。 学生らしくないではないか。

年毎の卒業アルバムには必ずと言って良いほど、キャンプファイヤーやフォークダンスの写真が載っている。 それを編集しながら50年分の記憶を一冊の記念誌にまとめていった。
自分達もフォークダンスの時間は何と言うんだろう、まるで受刑者が夜のテレビ番組を楽しみにしている様に、正にその季節のその曜日のその時限目はウキウキしてたのかも知れない。

男子は応様にアドリブが効かないから踊りの輪の流れにただ乗ってるだけで、運悪く女子の数が足りなくなった時は哀れや哀れ永遠と男子同士が妙な含み笑いをしたまま時を過ごすのである。
今思うに、たかだか女子の手を握るだけでも計算高く、「あとこうこうこういう交差の仕方だとアノ子と組めるとか、いけんいけん、このまま行ったらあの女子と組む羽目になる」とか、どうしてどうして、結構駆引きもあったんだ、フォークダンスって っと思い出す。

50年前の創立時はグラウンドもまだまだ石コロだらけで、新一年生はその後卒業するまで石コロ拾いが続いたそうだ。
決っして裕福そうな制服でも靴でもない生徒達が写っている写真を整理してると当然のことながら年代と共に少しずつ皆んな垢抜けて小奇麗になって来る。
化粧をしだした女子が写真に出てきだしたのは、アルバムから推測するに以外や以外結構遅くて、平成9年位からどうも顔つきが変わって来てる。
ひと学年オール中島美嘉(?)みたいナ〜

今でこそちゃんとした消防士になっている同級生のM君はその30数年前当時大きなバイクに乗ってて、それこそバイク イコール不良と決め付けられてた時代を結構マイペースに過ごしていた。
M君ら2年生が修学旅行に行く日の朝8時頃、彼は友人のバイクの後ろにまたがり慌てて校門まで送ってもらって来た。

が、しかし。
事もあろうに、バイクが横転してM君は足を骨折してしまった。
それも2年生全員がこれからの楽しい楽しい修学旅行に関する説明を聞いていたまさにその校門の目の前で。
彼等二人はコケテ、ズズッーっと悲し気にすべっていった。
当然の如く彼は修学旅行には行けず、当分の間ギプスのお世話になった。

その事故を伝えた翌日の中国新聞の地方版に大きく出た見出しがこうだった。

「修学旅行、 オジャン!」

過去50年の歴史の中にはもくもくとグランド整備をして学校の基礎を築いてくれた大先輩の生徒もいれば、こんな生徒もいた・・・。

それにも増して迷惑だったのは、修学旅行に引率できず骨折したM君を病院まで連れて行った先生かも知れない。
その時新米の先生だったとしても今はもう隠居してる位にはなってるだろうその人は後々受け持った生徒達に、この教訓をどう伝えたのだろうか。

ウォルトディズニーおそるべし!

2008/03/05 Wed
画像 800x434 89597byteミッキーもミニーもドナルドも、ええ〜っとこのリス何んて名前だったっけ〜!!

三原で唯一全国区のお菓子屋さんである若き社長の結婚式に呼ばれた。
場所は千葉浦安ディズニーランドに隣接するアンバサダーホテルの披露宴会場。 

ディズニーランドの中での結婚式だから大体こんな構図になるのは薄っすら解かってはいたけど、いざ式が始まってカクテル光線やら賑やかで小躍りする音楽がかかりだすと、出てくるは出て来るは!!!!  「ワッ!」っと最初は驚いて、後はただただ「ハッハッハー!!」と笑うしかなくなる。 いっぺんにコレだけのキャラクター達を見たら誰だって「ここは何処? ワタシは誰?」状態になる。 おまけに何の変哲もない普通のドアからドバッ〜と出てくるのだから。

下衆な話、大きな声では言えないが8体もぬいぐるみが揃えばその金額や、ちょいとした軽自動車が買える。  でもこれも決して大袈裟な話じゃないが、彼の会社は確かに大人気商品をいくつも抱え、殺人的な生産体制をとってもおっ追かない程忙しいが、あんまり儲かってはいない。 一言で言えば儲け主義じゃあないのだ。 工場の若い子達にしても只おいしいお菓子を作りたいって本気で取り組んでいる。 だから材料コストも人件費も素人で畑違いの僕が計算してもとても合いそうにもない商品が次々出来上がって箱に入れられ宅配トラックに載せられていく。 ついでにこれも内緒話だが、彼は社長だけあって大きな車に乗ってはいるが、その8体のぬいぐるみよりもはるかに安い中古車である。 それももう5〜6年は乗っている。本当に彼は商売人によくある嫌な欲を持ち合わさない。 決っしてヨイショする訳ではないが、菓子に対する情熱とひたむきに前に突き進んでいく姿は変な言い方、三原にはモッタイない人だと何時も思っている。 地元の人にもっともっと知ってもらいたい人物だ。


その時、披露宴会場は異様な歓声と熱気で20分近く温度が上がっていたかも知れない。
子供や、若い女の子なら解かるが、いいオヤジ連中もデジカメ自体が熱くなる位バシバシ撮っている。 キャラクターを後ろに抱えた新郎新婦も目が開けていられない位のフラッシュに「オイオイ、これって百恵ちゃんとトモカズの結婚会見かー?」と勘違いしたかも知れない。(っな訳ない。)
ぬいぐるみ8体もただジッとしている訳ではない。と言うか新郎新婦をもみくちゃになって祝福するさまは、まるで妖精の森のなかで星の王子と白雪姫が動物に襲われてるんじゃあないのかと錯覚させる程だ。
またミッキーやミニーの中の人達もやはりプロだ。 真剣だ。

お金の掛け方が違うな〜。 
ディズニーキャラクター達を見終わってそう感じた。
ココ一番に掛ける。 見所、盛り上げ所を知っている。
たっての新婦の希望だったこのディズニーでの挙式は、ハカラズモ今まで「何て事のないディズニー」と思っていたオヤジ達を「やっぱ! すげーなー! ディズニー!」へとものの見事に変えさせてしまった。

一般的な披露宴にあるようなお決まりの祝辞もなく、退屈で愛想笑いの続く結婚式しか今までの記憶になかった僕は軽いカルチャーショックを覚えた。と言うのも、挨拶をする人達がコレマタ、ぬいぐるみに負けず劣らずの役者ばかりだったからだ。 菅原文太を横に伸ばした様な大学時代の空手部監督は、とても威圧感があってカッコ良かったし、島で中学校教師をしている高校の時の同級生は新郎をハラハラさせる様な爆弾秘密ネタをチラつかせながらの緊張感抜群のスピーチを終えた。

それにも増してやってくれたのは、やはり新郎の彼である。
柔術の胴衣で「青〜コーナー」からの大音響と共に、のぼり持ちの弟子を従えての入場に会場内のボルテージが上がる。 さすがに新婦の「赤〜コーナー」からのそれなりの格好をしいられての入場は断られたと言っていたが、それはそうだろう。せっかくの白雪姫の恋心もパーッと立ち消えになってしまう所だった。

新郎が模範対戦をする事になった相手の藤原君という大学の現役空手部員は、その前にやった模範演技で負け越しているせいか、戦闘気力も今度こそここに集まっている面前の前でいくら新郎が相手とはいえ負ける訳にはいかないというアドレナリンが最高潮に達して、思考能力がうつろに見えた。
が、その「コイツとんでもない暴挙に出て、俺をこの後血まみれで披露宴の壇上に座らせる気か〜?」といち早く察した新郎の次の一言が僕には大ウケだった。 

「藤原ー! エエかー 空気読めよー!」っと。

かくしてここではこれ以上言えない、もっともっとおもしろい事も沢山あった彼と彼女の披露宴が終わっていく。  
「エエ〜 もうそんな時間か〜?」と感じる位に楽しく笑えて心の底から二人を祝福できた披露宴は今までにない。
隣の席の来賓のオジサンも「まだ早いよ〜」と残念がっていた。
3時間半も経って、もう夜の9時だって言うのに。

翌日の早朝8時から仕事の予定があった僕は、2億4千万円の40階建てマンションの39階に住んでいるというやはり披露宴で相席になったご婦人のタクシーに便乗させてもらい、東京駅まで高層ビルが競争するようにそそり立つビルの夜景を見ながら、「もう一回結婚するんだったら絶対アンバサダーでぬいぐるみだな」とブツブツ言いながら、まだ着いて6時間しか居なかった東京を「夜行寝台スーパー瀬戸」のB寝台個室で10時間掛けて三原に帰るのであった。

昼までに仕事を済ませて少しウトウトしていると、携帯が鳴る。
新郎からわざわざ昨日のお礼の電話だった。
その暖かさがありがたく、昨日の160人近くの列席者にも掛けたんだと思うと彼の誠実さに驚くばかりだった。
式からまだいくらも経ってない時間の中で、皆んなが銘々色んな仕事をこなしていってる。 それが頼もしくもある。
あっという間の時間だったから余計にぬいぐるみたちとリンクしてきて寝ぼけまなこを擦りながらこうボヤクノデアル。 

「ファンタジーやったなぁ〜」・・・と。









だんだ、だん。

2012/01/10 Tue
12345 365x487 34339byte花谷さんというこの人は年に3回ほどぶら〜っと会社へやって来て、もう5〜6年になる。

本業は何なのか聞いたことがないから解からないが、住まいは瀬戸田で仕事の傍らではなく、趣味の域をはるかに超えて柔術を教えているすごい人だ。
三原、向島、尾道、福山に4教室を持ち、驚くなかれ週に6日、すごく年期の入った125cc位のアメリカンバイクで移動し生徒に教えている。

たまに送ったファックスも調子が悪くていつもその内容を確認する為に三原で教室がある日に合わせて来てもらう。
たいがい新生徒募集のビラ作りの為なので、冬場に会うのだがバイクという事もあるにはあるがパッと見た瞬間は「家から布団にくるまったままで来たのか?」という格好で。
ただ本人は寒いからという理由だけだが、それは防寒着というのをはるかに超えて、そのままワカサギ釣りだってできるし、氷点下10度位の夜中に家の外におっぽり出されても2〜3日は腹さえ空かなければOKだ。
足も冷えるだろうにと思いきや、ユーホーで買った850円の青と黄の長靴をちょっと自慢もするおちゃめな人だ。

お金に対しての欲はこの人にはない。
何かを極めようとする人達は応様に共通して、金にはトンと無欲だ。
ただ、柔術が好きでたまらない。 だから中途半端に話を理解した素振りも僕らは見せてはいけない。 

教室の家賃が大変だとか、商店街のお店がなかなか生徒募集のポスターを貼ってくれないとか、ちっちゃい子供がすぐ辞めるとかひととおりの弱音らしき事は教えてくれるが、常に前を見据えて柔術の事ばかり考えている。

手書きの原稿を出す手の甲は突きダコと言うのか何なのか、恐ろしいばかりの練習を積んだ手だ。
ちょとやそっとじゃ見ることのできない手だ。
「よく花谷さんところは 極真(キョクシン)ですかと聞かれるんだけど、うちはあんなにメジャーじゃないし生徒も桁が違うんだけど、教える情熱は負けてないよ」  もう少し話し続けてると決まり文句の様にいつもこう言って嘆く。
「極真、極真ってそれしか知らないのかねー、 情けない!」

良かった〜。 そのごっつい手で突かれなくて〜。
実は空手って、その極真しかないのかってオレ、思ってたァ〜。
柔道がジュウドウの様に、太極拳がタイキョクケンの様に。

ちなみに彼のは白石派糸東流研武会(けんぶかい)と言う。
師範七段・・・だそうだ。
多分その「だん」の数字が多くなければ蹴ったときのあんな変な軸足の向きにはなれないと思うからだ。
「達人」は、結構身近な所にいる。 びっくり。



ドゥンドゥビヅバ〜 ドゥビドゥビパ〜ヤ〜、パヤ!パヤ!だ。

2008/02/14 Thu
画像 648x486 54559byteモッコリ、元気に。それはそれは力強く、立ち上がる。

もう30年は前の話だが、帝人が一番元気だった頃に社員の為の慰労会みたいなのが毎年あって、昔の体育館に「ザ・ピーナツ」とか「辺見マリ」なんかが来て、それはそれは大盛り上がりだったのを覚えている。 子供だったから景気がどうのこうのは当然解からなかったけれど、なんか皆んな賑やかで油臭かったような、汗臭かったような・・・。 おしなべてそれを今は「とってもイイ時代だった」と皆んな遠くを見つめてはオウムの様に言う。

大体はあの素っ頓狂なテイジンのおばさんがテレビに出てきだしてから母体が調子が悪くなって来た。 たまたま時代のタイミングだったのだろうけど、洋服の素材を作っててあの格好はないゼ。テレビの前の聴衆は笑わせても、時流はやっぱり冷ややかでいっぺんに呑み込んでいった。

夕方近く、沸き立つ煙。 もくもくと、結構元気に昇っていくじゃん。
上のほうまで行くとホワ〜。と消えていくけど、なんだか懐かしくてちょっとうれしい。 まだまだだけど、少しは元気だぞって。へぇ〜 機械回ってるジャン。・・って。

辺見マリはあのギョロとした目をテレビの前の子供に向けて、エロスの手招きをしながら喘いで懇願する。 「やめテ〜ッ!!」 少し前にはオウム真理教の横山という弁護士もそう叫んでいたが、弁護士も色んな形で進化している。 変わろうとして結局変われなかったのが古くからの工場だったと言う事か・・・・・。

ザ・ピーナツも辺見マリ程の色気はなかったにしろ小学生にその慰労会の招待券を握らせて来させた位だから当時としてはかなり刺激的だったのかもしれない。 そう言えば、たかだかあれ位のミニスカートにしても生で見たのは後にも先にも、黛じゅんやツゥイーギーよりもザ・ピーナツが最初だったと思う。


今年の節分の恵方は南南東と言うが・・それは南口の事か?

2008/02/04 Mon
南口はどこですか? 616x399 58264byte駅前に爆弾が落ちたようにポッカリ穴が開いた。

天満屋が跡形もなく、なくなった。おまけに旧ペアシティから駅側に掛かっていた陸橋も取り壊し始めている。
壊すのは簡単だし、あっと言う間だ。 三原市民の便利さをまたひとつ減らす工事だから後ろめたさも手伝ってか余計に手際が良い。

雪の日に人前で転んでも照れ臭紛れで目的方向とは違うのに、打った腰が痛かろうにサッサと歩き出す人。 その場を立ち去りたいだけのキモチで早い早い。
誰が悪い? 雪か? 滑りやすい路面か? こんな日に出かけなきゃいけなくした相手か? いいや、それはコケるかも知れないのに両手をポケットに入れてたお前だ。 だけど、普段行ないの悪い人はその不幸を人のセイにする。 周りのセイにしたり町のセイにする。 国のセイにだってする。
だから今は反目するもの全てがどっちもどっちなのだ。特に公共工事というお題目が付いた工事は果たして良かったのか悪かったのか。ただでさえ真偽のあやふやな工事だからだ。皆がまず、イの一番に自分達の損得だけは考えたけれど、本当に大切にしなきゃいけない事をころくに脳みそを動かさずに決めた「三原の将来」だったからだ。 今となってはワカランもんと知らんモンがただ立場上ツバキを飛ばしあってただけだ。 

7、8年前に東京から尋ねてきた知人がひとつ笑わせた。 思い返す度に寒さがつのるブラックジョークだった。

9月か10月の夜7時少し前に三原駅に降りたそいつは、僕が「南側の出口で待ってるから」と聞いていたので早足でその出口に向かったそうだ。
「あっ、いけね! 出口まちがえちゃった。」
「でも、おかし〜ナ〜。 海側へ・・・出たのにな〜 ちがってたんだな〜」ってぼやきながら慌てて反対側の出口に廻る。

隆景広場の、さっきの出口よりもっと暗い所へ出てビックリする。
「オイオイ、じゃあやっぱり最初の出口が南口なの〜?」
郷土愛に満ち溢れている僕は、それを聞いてもただ喉の奥でこもった悲しい笑い声を相手に聴かせるだけで精一杯だった記憶がある。
天満屋がまだまだそこにいた時だから今思えば余計に涙が出そうになる。
 

死ぬかもシンナイお仕事

2008/01/24 Thu
画像 778x584 89671byte今、ムチャクチャメンドクサイ仕事をしている。 
机の上のパソコン作業なので体がシンドイ訳ではないが、とにかく時間が掛かる。 もう何日も報道ステーションの古館もお天気姉さんも見ていない。
 
尾道〜松江線という高速道路の工事が始まってさあ、3〜4年経っただろうか。道路はその名の通り、尾道と松江を結ぶ一大工事で、繋がれば観光に日帰りの仕事にそれはそれは重宝するに違いない。 しかも驚くなかれ尾道から松江まで行ってもこの道路はタダ、今日び、ビックリする事に無料なのだ。どこのどなたの肝いりで作る事になったのか知らないが、そんじゅそこらの中途半端な高速道路を10本、20本集めたってよっぽど価値がある1本だ。

その道のトンネル工事のパンフレットを今必死で作っている。
足りない知識と寝不足がパソコン作業の邪魔をする。 おまけにデータが重いのでイライラを通り越して、もう諦めの境地だ。 そして案の定、肝心な所で止まりやがる。 いつもはしないが、昨日はさすがに機械の野郎を殴ってやった。 根性のない奴が増えておじちゃん達は情けない。

トンネル工事は恐ろしい。 何時、仕事中に落盤や増水や発破事故で死んでも不思議じゃない仕事場だ。 他人事でよかったと思いながら、実は俺らってなんて安全な仕事なんだろうって少しチキンな、男だったらちょっとな、って思う。

別に船底板一枚の漁師もしたくはないし、火の中に飛び込んでいく消防士にも麻薬中毒の犯人とさしで向き合う警察官にもなりたくはない。

しかし僕の親父は警察官だった。 地方公務員だったから僕もなんやかやで、小、中、高と5回は転校させられた。 今は子供らの教育の関係でムゲな転勤はなくなったとは聞く。 あぶない仕事にはそれなりの恩恵があってもいい。 恩給がそうかも知れないが、死んだ後では何にもならない。

仕事がらみで言えば、世の中に本当に必要な仕事は実は3つだけだと、かなり前から思っていた。
それは何かとたずねられれば、まず第一にそれは「医者」だ。
二番目に必要なのは「お百姓さん」だと思う。
そして3番目は「死ぬかもシンナイ公務員」、以上で決まり。
残念ながらトンネル掘りの人達は、車がいらなきゃ意味がないんで落選だ。
世の中には「健康」と「米と野菜」と、ある時悪い奴らに立ち向かって人を助けてくれる、勇敢な、でもひょっとして何かの拍子に死ぬかもシンナイリスクを抱えた人が居ればいいと・・・・。



昭和が84歳なのか、平成が二十歳なのか?

2008/01/14 Mon
画像 960x540 99911byte今でも、特に沖縄の成人式にはまだまだお馬鹿な二十歳がたくさんいるようだ。 今日もテレビでやっていた。

ある程度こっちも免疫が出来てるので彼等、彼女らが騒ごうが何しようが
少々の事ではビックリもカリカリもしなくなったのもどうかと思うが・・・
オツムの悪い彼等はイコール、人としての思いやり、優しさにも当然気がまわらない。 それは何故か? 親がつまらないからと言えばピンポンすぎて、問題が終わってしまう。そしてそんな子供に育てた親ほど学校のせいにする。友達のせいにする。 

よく、行き場のないとか、やり場のない怒りや悲しみと言うが、そのお馬鹿な家族達は鼻ッからその行き着くところがどんなにしんどくて、大変な事かを考えない。 苦しかったり、忙しかったりしても自分達で汗をかかない、心配しない、人にまかせる、けなす、しかる、服従させる。 ところがどうだ、勝てないと思うと見透かしていたかの様に、そこだけは一般人よりはるかに賢くシタテに出る。 しかも自分達が被害を与えた人間の涙も困り果てた顔も、ズル賢く見て見ぬフリだ。 可愛い自分しか見てないから他人を下から覗き込んでまともに見てはやれない。

昭和20〜30年代のブームが来て、そんな頃に小さかった僕達は何だかとても良い時代に、昭和通算84年の中でも特に思い入れがあったような時に生まれて少し鼻が高い。
テレビも電化製品も自分達の年齢と同い歳位の歴史が妙に誇らしい。
まったく何もなかった訳でもないし、食べ物だって怒られて押入れに入れられている時以外は一度も不自由をした事なんてない。
なのに何でこんなにも懐かしくて、生き生きしてたんだ?
高度成長期と言ってしまえばそれまでだけど、国が段々と豊かに、生活に潤いが出来てきたからと言い切ればそれもまたピンポンだ。

だけどそれはほとんど物理的なことで、本当は人、ひとりひとりが一生懸命他人を思いやる「気持ち」が体の中にあったからだ。

今の時代、それがある人とない人がいるから複雑になっている。
いい加減皆んな大人になろうよと思う。
とっくに昭和は終わって、気が付けば平成がもう二十歳になってる。
このオメデたい国も早く大人にならなければ近い将来とんでもない事になる。

皆様、明けましておめでとうございます

2007/12/31 Mon
画像 960x540 98997byte改めまして2008年、明けましておめでとうございます。

何年か前までは、ああ又歳とっておっさんにどんどん近ずくなぁ(今の時点でもかなりおっさんなのだけれど)とぼやいていたけど、最近ではひとつでもイイ歳をたして正しいおっさんになれればとさえ思う位に人間が出来てきた。  と言うか方向性が変わって来た。 何を隠そう、出来る事とやっぱし出来ない事の分別が解るようになった。 でもそれはあきらめとは違う。辞(止)めたかったり、めんどくさくなった事でも簡単にそうしてしまえば確かに簡単だ。 物事をストップするには勇気もいるが、後はラクだ。今はこうした安易な人間が増えて来たのも確かだ。 かく言う自分も時々短期の気性を借りて、おらび回る。 時にはその人間の為だといらぬお節介をしながらわざとおらぶ。 その真意が解れば嬉しい。 しかし悲しいかな自分がとてつもなくまだ中途半端だから、しょっちゅうボロが出る。

今年はそんなところをひっくるめて、自分を問い詰めてみる一年にしてみたい。 三原という限られた町に住んでいる一人として、どうせ此処に生活をする一人の広告の発信者として、消費者として、つまらない文章と知恵の湧かないこの頭で、苦し紛れの行き当たりばったり文章を書いていきます。
どうぞ宜しくお付き合い下さい。

写真は昨年登った、北アルプス 西岳から見た槍ヶ岳の朝焼けです。

それでも「そんなの、関係ね〜!」のか?

2007/12/24 Mon
高校駅伝 737x474 102493byteやっぱり如水館高校に思い入れがあるので、どうもこうも今年の全国高校駅伝も合点がいかない。

今年連覇を狙う世羅高校は同じ広島県代表だ。 応援してやりたい気も当然ある。 だがだ・・・。 箱根駅伝で、もうウンザリの山梨学園の留学生ランナーと同じ事をしてきだしたのが、今の高校駅伝だ。言葉が悪いが、それはズルだ。 手の込んだスポーツマンシップに対する、正直に強くなろうとしている貧乏学校への大ズルだ。

世羅高校の一区、カロキ君は確かにいい選手だ。 いただけないのは外から、世羅の郡外からではなく日本の外から引っ張ってきて純正部員の成長を止めざるを得ない程の横着をするズルイ監督が情けない。校長も情けない。 ところで世羅高校って公立か〜? だったらなんで県のお金でスポーツ留学生を呼べるんだ〜?
まっ、確かに正規のルールで、どこも協定違反もないんでしょうよ。しかも彼等は日本の高校生とは必然的に身体能力が高いのだから比べてもしょうがないのもアンダースタンドだ。  

でも相手はまだまだ高校生だ。 ところがこの歳でもアメリカだったら、AだBだのというせこいセックスは小学生の時に卒業して、ニツポンの親が見たら立ちくらみがするようなフレッシュなセックスをしていらっしゃる。
酒だって飲みながら車を運転してる。 それが、アフリカ諸国だからとか何処だからという問題じゃぁないのである。

なにもニツポン人だけの大会をやれと言っているのでもない。国際大会でもしかり、野球であれバレーであれスポーツ程、国の違いを、レベルの差を痛感させられるモノもない。 ただ、それは成人スポーツであって学生のしかも中学、高校の競技の中に「外」を入れるのはどうかと言っているのだ。

強豪はそれ故のプレッシャーも有る。つらいのも重々承知だ。だけんど一番強い所が外から寄せ集めて外壁だけ鉄壁に作っても本当に大切なのは、こと高校生活3年間の各部員ひとりひとりの「自分の頑張りの確認」じゃぁないのだろうか。 その頑張りをいくら同じ釜の飯を食った留学生だとしても、それは合点が行かないと言っているのだ。
    
それでもやっぱり勝てば官軍なのか?
なんだかんだ言われようが、そんなの関係ね〜のか?
ニツポン人のスポーツ魂は1リットル換算、今のガソリン代より安くなったのか?
東京オリンピックで円谷が抜かされたのを皆んな忘れちゃったのか?
 
人数制限はあるにせよ、中学駅伝大会出場メンバー表にカタカナだらけの選手ばかりにならぬ様祈るばかりである。

ナ、ナンジャぁ!  この値段は!

2007/12/14 Fri
貞子もビックリ。 363x274 45784byte何でこんなに高いんだ!

たかが普通よりちょいとばかり大きいだけの薄型テレビが、何で50万も70万もするんだ!
じゃあ買わなきゃいいじゃないか。  ごもっとも。 でも壊れたのである。10年近く見てたテレビがあっという間に見えなくなった。
まるで地デジ放送の波に呑まれて、そっとステージの上にマイクを置いて去って行った百恵ちゃんのような引き際だった。

と、言うわけで電気店のチラシをここ一ヶ月よく見る。 ひとつも仕事の来ないヤ○ダ電機やら安いようでそうでもない○オ○オのチラシを見る。
どこもかしこも似たり寄ったりで面白みと言うか、サプライズがない。
びっくりさせてみろよ〜。 ローカルな町のおじちゃんたちを〜! 何とも右ならえの一見バーゲンの様に見せかけてはいるけど、買う気で4〜5週間価格をみていると冒険してないのがよくわかる。 おじちゃまたちはセコイんだ!  それと、一ヶ月前の値段位までならまだ覚えていられるんだ! えらいだろ〜。フン!
おもしろくないついでに言うと、そもそもは国が電機業界とグルになって強引に進めている「あと2年したら今のテレビが見れなくなるゾ〜」CM.
年寄りは間違いなくだまされてまだまだ使えるテレビを地デジテレビに買い換える。 チュ―ナ―はあと1年もすれば7〜8,000円位なのが出てきてそれを今のに繋げればそれで十分見れるのだ。いくらかBSやらハイビジョンの視聴には制約は出るが、お年寄りが少しの時間だけ見るのだ。十分だ。
そんな嘘のセールスがきらいだ。大義名分をかざしてマジックのような安値の数字をうたう広告がきらいだ。


しかし、薄型テレビと言うのはさすがに厚みが薄い。
映画「リング」で貞子がテレビから出てきた時には、あぐらをかいて座ったまま10cm程飛び上がったが、よくよく考えてみればあの怖さは今までのブラウン管テレビのなしえた技で、こんなに薄くなったテレビから彼女が出てきたって恐ろしくも何ともない。 それよりも随分滑稽で吹き出しさえするかも知れない。
薄いテレビから本当にあんなふうにニョロ〜と出て来たら、それこそ引田天功だって真っ青だ。

木(ボク)達の将来

2007/12/05 Wed
画像 700x525 60582byte家族で穴掘って遺体を埋めているのではない・・・。

毎年12月始めの早朝、館町の「桜山」に桜の苗木を植樹する。
市内から家族連れや老夫婦の方達がたくさん山に上がってくる。
もう10年来の行事だが、うまく根付いて花を咲かせる木もあれば、そのままいくらも成長せず枯れてしまう木も多い。桜はとにかく日当たりだ。 日当たりさえ良い場所に埋めてもらえればかなりの確率で生き残れる。一方日陰の道を歩く羽目になった木(ボク)は言わずもがなの人生だ。  ある程度生まれた環境はイイ、ワルイを別にしたギャンブルだ。

「中島みゆき」の唄に「僕たちの将来」というのがあって、24時間営業のレストランを舞台にいきなりこう始まり、普通の恋人達の葛藤と無情さをサラリと表現する。 

「あたしたち多分大丈夫よね・・。 フォークにスパゲティを巻きつけながら彼女は訊く。 大丈夫じゃない訳って何さ! アブナイ言葉をビールで飲み込んだら、さっき抱き合った宿の名前でももう一度蒸し返そか・・・。」 と。

僕たちの将来は、多分みんなもわからないと思う。
うんにゃ、ボクの将来はこ〜こうでこ〜こうだと言ってる奴はいるが、皆んなからは好かれない。 そんな奴に先にゴールされても困るから認めようとしないのが本音かも。

これだけ目まぐるしく流れていく社会で、人と人とがせめぎあい、無駄な労力を使うだけ使って損だ得だと必死になっている、こんな情けない社会はきっと咲かない桜の木よりも早く朽ちてしまうと思う。
悲しいかな、それだけはわかる。
穴を掘りながら、ただ そんな事を考えていた。


となりの「ポポロ」

2007/11/24 Sat
画像 759x617 83903byteうちの会社から自分の足で走ればゼーゼーいいながらでも、2分もあれば「ポポロ」に着く。 言ってみれば、「となりのポポロ」だ。
だからと言ってそれが他の人達が羨ましいかと言えば、全然そうではない。
悲しいかな昔から文化会館はあんまり市民には人気がなかった。いくら文化の発祥基地だと言ってもその文化がない。町にない。 市民にない。
全く「ない」と言ったら語弊があるが、じゃあ毎週、何かの展示物でロビーがふさがっていたかと聞かれればそうではなかった。

だが、だがだ。 今度のポポロは何かやってくれそうな気配がする。
10月のオープン当日は混んで当然。倍賞千恵子のタダコのオープニングセレモニー、中村紘子のピアノコンサート、小椋佳、チェコスロバキアの交響楽団の演奏会もたかだか1200余席が埋まってやっとこさペイできる位の施設なのだからだ。
要は結局のところ三原市民がどれだけ利用してやるかなのだ。
今まで会議所でやってた会議を、公民館でやってた敬老会を、尾道まで出掛けてたカラオケ大会をどれだけここでやるかだけなのだ。
これは三原の人間がひとりひとり、本当に肝に銘じなければ、この建物だって只のちょっと変わったドームに過ぎない。
2,3年経って「ど〜む、スイマセン。」なんて洒落にもならない。

そう言えば、一見外から見ると綺麗なアールを描いたドームだが、近くで見ると何故か知らん工事中の素人のお兄ちゃん達の踏んだかぶつけたか知らないが、表面は結構なデコボコ状態だ。故人で申し訳ないが、坂本九ちゃんよりもヒドイ。
もう少しどうにかならなかったのとボヤいてもお釣りのでそうなお粗末な施工だ。 新車の納入なら即、別の新品と交換だ。

写真のドームの右に綺麗な楕円をしたUFOみたいな雲がいた。
こじつけるようで悪いが、こんな風に美しいドームにして欲しかった。

「責任者! 出てこ〜い!」
いずれもオチ、古過ぎ。
でもこのオヤジ臭さが、「文化 カイカ〜〜ン!」 ・・・・ジャンジャン。 

聞きなれない場所ですが・・・

2007/11/14 Wed
画像 486x648 80639byte中之町の先のさき、「中元商店」を右に曲がってず〜っと道なりに1km程行った突き当たりに思い出したように「学校林」なる(場所)がある。
聞きなれない名前、何するところ?
よく解からないけど、生徒達が山や木について学ぶところ。 自然を大切に木々を増やしていこうっと言ったテーマだと思う。

ここに大きな「イロハもみじ」の木がある。
今で7分咲き位。
その奥にもまだまだ小さいけれど、何本かもみじが植えてある。

今年は紅葉が遅いし、大体が寝ぼけたような色合いで不作の年かも知れない。  それもそうだろ、コレだけ暖かかったのだ。 毎年同じようだとかえってオカシイ。

スキー場も今年の暖冬の被害を受けて、バタバタ倒れる。 身売りする。
それにしても弱すぎる。 自転車操業にも程がある。
ずっと我慢してたとはいえ、良く辛抱してたとはいえ、結局潰れたんなら「暖冬」は言い訳にしかならない。

美ノ郷から御調に向かう184号線沿いのトンネルを抜けて大きく右カーブを曲がったところに、とんでもなく大きなイチョウの木がある。
今は真っ黄色になってるんだろうが、この木だけは毎年たわわに葉を付けていつも堂々と立っている。
ハズレの年がない。
秋を感じる数少ない地域の景色のひとつだ。

名古屋にあって札幌になく、ましてや広島になど端ッからなかったもの

2007/11/02 Fri
画像 480x270 38745byteこと野球に関してはこれで決まり! と言う事が特に最近なくなった様な気がする。
下駄を履くまで解からないとはよく言うが、それはあくまでゲームとしての結果であって、よもや人生観や自分の信念までもが野球のわずか数試合で360度も変えられるとは思わなかった。

中日の中村は今シーズンのキャンプイン寸前まで給料なしでベンチに入いらせてもらうか引退かの瀬戸際だった選手だ。
今までトラブルメーカーで首脳陣には嫌われてた筈だ。 それをよりによって嫌われ者の大先輩、落合が拾った。
最初は演出だと思ったが、崖っぷちまで追い詰められた本当の苦しさを知っていた奴はそこで踏ん張った。

中日にやっとこさ入った中村を正直情けないヤツと今年の始め僕は意地悪く笑った。
ところがどうだ、優勝が決まった後の彼の言葉に不覚にもホロっとしてしまった。
自分のこの10ヶ月余まりを悔いてしまった。
周りからたたかれ弱っている人間は何週間は下手に出る。 その間に心底反省をして生き返れるかどうかだと思う。
ヘタリ切った人間を今まで影で手も足も出せなかった人間が攻撃する。
鎖で繋がれているのを知っているから挑発する。
そこで自分をあざ笑う人達を単純に怒りにだけ思うか、哀れに思うかで弱った人間の未来が決まる。

そんな人間ドラマが幾重にも重なっていたこの日本シリーズを、ただ単にカッコイイからとウチの84歳になる母はダルビッシュばかりを応援していた。 他の選手はジャイアンツやカープの選手が紛れていても解からない位彼だけを眠そうな目で追いかけていた。  
3〜4年前にも朝の食卓で何やらジーッと下を向いていたので「何しょぉ〜るん?」と聞いたら 「ああ、ヨンさまの事考えとった〜。」 と、答えた母である。

名古屋にあって、札幌や広島にないもの・・・・。

ビジュアル系やタレント気取りの選手達ではなく、
どこまでもしつこい位に、バタ臭くわが身を犠牲にしてまで「野球」というモノにのめり込めるファンのDNAであると思った。

 


行儀の悪い行列

2007/10/24 Wed
画像 623x468 65800byte国道沿いの何気ない一角ではあるが、一見してそれが何の行列かすぐ解かる。

年寄り相手に結局最後には加害者と被害者にわかれてしまう、その行列だ。
賢い年寄りは貰うものだけ貰ってスルリと身をかわす。 三原市内でもこんな店がここ2〜3年だけで5〜6種類の名前をうまく誤魔化しながらいろんな場所に出来たと思えばすぐ閉めてを繰り返す。

食パンやトイレットペーパーや洗面器などを身体一杯に抱えて楽しく笑いながらお爺ちゃんおばあちゃん達が三々五々店から出てくる。
得をしたのか損をしたのか・・・・・・・・・。

出て来れた年寄りはセーフ。
奥のそのまた奥の椅子には逃げ出そうにも逃げ出せず訳の解からないまま中途半端なボケ老人のようにハンコを握り締めている年寄りがいる。

もちろんマニュアルに沿って、ものの見事に罠に掛かったオバカさんには間違いない。  でも最初にほくそ笑んでいたこの人達は果たして本当に被害者なのだろうか?
かと言って貰うだけ貰っといて絶対ハンコを押さないのは商業ベースで考えると誠に卑怯な奴らなのだ。
もちろん罠を仕掛ける店側が悪いのだが、最近の年寄りはかなり免疫が出来てるから、店側もイケメン君やポッチャリ美人を揃えて応対しなければならない。 人件費や他の経費も結構掛かる。

アフリカの野生動物の中でいつも群れの一番弱い奴がライオンやピューマに狙われてヒドイ目に遭う。
繰り返すが、ワル知恵の付いたジジイやババアは決して自分達の群れが荒らされようが全滅の危機にさらされ様が口は割らない。
でも善良なおばあちゃんが100万円で買わされた二束三文の羽毛布団の中で「今日も一日長生きさせてもらってありがとうごぜいました」と手を合わせるとしたら、やっばりこのどこかおかしくなった日本経済は一刻も早く破綻すればと願わざるを得ない。

浮城ふれあいコンサートにて

2007/10/13 Sat
画像 648x486 64599byteバッハは偉かった。

バロック音楽を語るにはあまりに無知すぎて、何から話すにしても何を書くにしても「印象と感想」しか言えない。
まるで小学生の読書感想文みたいだ。 と言うよりまだそれ以下かも知れない。

聴いててカ〜ッと心臓が熱くなるでもなく、鳥肌が毛穴を押し広げて立つ訳でもなく、ましてや涙がツーっとつたう訳でもない。
しかし、イイナ〜ってのは体が感じはするのだ。
肛門がキュッと締まって血液がサラサラ流れる音は聞こえるのだ。

だが、「クラッシックって、なかなか良いじゃん。」位で終わる。
演奏者が1人だから10人だからって人数の問題でもないだろうけど、自分の中に雑念が多すぎて、その世界に浸りきれないでいるのかもシンナイ。

「パシッ!」 不意にうしろから肩を叩かれる。
坊主がこれみよがしに座禅体験者にふるう物差しの大きいのかと思いきや、あんれ〜知り合いのxx君じゃないの〜。

お前、クラッシックて柄じゃぁねえぞ〜。
そういうお前もなんでこんな所にいるんだ〜?

うるさかったのか、前列のチューバの楽器みたいなオバサンが振り返る。
「すいません・・・」みたいな格好だけする。

たまには凡人の僕らにはこういう音楽が、こういう場所が必要だ。


ラブホテルに行ってきた。

2007/10/04 Thu
画像 662x497 56229byteラブホは頑張っている。

ラブホ(ラブホテル)にはタマにイク〜。
もとえ、たまに仕事で行く。
いくら仕事とはいえ、いくら看板のついた車とはいえキョロキョロ周りを見回して入り口に突っ込む。
うっすら汗が出る。
清き青春を送ってきた男は緊張する。 何度も出入りした店でも誰かにみられてやしないかと気になる。

ここは長谷町のとあるラブホ。
フリータイムがあるので思ったより車は多い。 
昔この店の改装工事に立ち会った事があって、店の通路は工事人達や工具でふさがっているのに何を勘違いしたか、あせってたのか一台のセダンがキュキュキュッ!っという感じで入ってきた。  バカである。
いわずもがなこのカップルは店内のその散らかった工具をのけてもらいながらの、超低速ハズカシ周回パレードと相成ったのである。

こんなのもあった。
二人で入ってきて5分もしない内に慌てた様子で事務所の扉を開けて女がこう聞く。
「駅はどこですか?」と。
指差す方向に駆け出す女。  その4〜5分後にシャワーを気持ちよく浴びてただろう間抜けな男が、こう尋ねる。
「どっちに行きましたか?」と。
指差す方向にまだシャワーしか使ってないのに部屋代を払って車で追っかける中年オヤジ。
その後は知らない。 財布がなくなったのか急に女の気が変わったのか。
いちいち気にしてたらこの商売はやってらんない。

いろんな趣向が凝らしてあったりサービス精神旺盛なのもこの業界の特徴だが、今は部屋付きの露天風呂が人気だ。
そして最近この店はコスプレ衣装の無料レンタルを始めた。
びっくりする程部屋に入るやいなや電話が掛かるらしい。
その中でも一番人気が「エプロンナース」。 前しかないエプロンとナースの帽子がセットだ。 二番人気はやはりセーラー服。

若いカップルは何でもしなさい。
想像するだにオソロシィのは中年カップルのセーラー服か。はたまたチアリーダー衣装か。
でもこれもまたテレビの現実ニュースとしてよく見る光景だ。

地球滅亡は意外と早くやって来るかも知れない。
どうかこの人達のおぞましきプレー中に大地震が来る事をお祈りしています。

てんまやの後はてんでわやや。

2007/09/22 Sat
画像 648x486 38402byte駅前、天満屋あとの解体工事が急ピッチだ。
事もあろうに、あんな商業施設だった建物を三原の元気ない活力をせせら笑うかの様に解体屋だけが活気に溢れている。
歯のない、何か吸ってんじゃないのって想像してもお釣りが来る様なお兄ちゃん達が元気だ。 お前ら三原の、仮にもシンボルでおばあちゃん達の憩いの場だったビルを壊してそんなに楽しいかって位に微笑んで仕事をしている。ニッカボッカが跳ねている。

コホン!  ちょっと言い過ぎたが、若者が楽しく仕事をするのはいい事だ。 
ただ、ただだ、そのビルは壊してはいけなかったのよ、君たち。  三原市がどうしても手放してはいけなかったコンクリの箱だったのよ。
天満屋もよくぞ30年か35年ここで頑張ってくれた。 でも最後は情けなかったぞ。 安部晋三より何倍も情けなかったぞ。 三原のみんなが結局、情けなかったってもんじゃなかったぞ。

国道側に地下2階建のマンション1棟。 そして駅側にホテルと複合テナントを入れたのが1棟。
食べ物屋にしても、洋服屋にしても、スーパーにしても地元の商売人が入ればせめてもの救いだが、建築主さんはナニやら、テナント料が合わなければヨソから何店でも引っ張って来れるとのたまわれていらっしゃるそうだ。

そうこうあれやこれや考えている内に年がふたつ程明けました・・・・
みんな今までのいきさつなんかすっかり忘れて、オープンフェアに出かけます。 オイオイそんなんでいいのか〜。   
そう、そんなんでいい世の中にすっかりなっちゃったんです。

今日もテントの奥からトンテンカンテン、中を壊してるんだかの音がしています。
ジワジワ駅前で真綿で首絞めるような事をせず、見物人から金とってドカ〜ン、ガラガラ!っと発破ショーでもしましょうよ。
そのほうが、よっぽどスッキリするワ。


ふれあいコンサート

2007/09/15 Sat
画像 798x535 52529byte今年もまた浮城ライオンズクラブ主催の「ふれあいコンサート」が10月11日(木) 午後6時からリージョンプラザで開催される。
 
今回はチェンバロ奏者、武久源造(たけひさ げんぞう)さん率いる愉快な仲間達の計6人がステージを魅了する。

武久さんはその業界では知らない人は当然いない位のカリスマチェンバロ奏者で大学の音楽講師も勤めるというオールマイティー音楽家だ。

毎回この「ふれあいコンサート」は素晴らしい。
最近でも新垣勉だったり、長谷川きよしだったりする。
こころに響く音楽を献眼というひとつのテーマに絞り、三原市民の皆さんに語りかける。

無料のコンサートだが事前に整理券が必要。 
そして気持ちばかりの寄付もコンサート終了後にお願いしている。
去年もリージョンの400人ばかりの収容人数でも約16万円程が寄付金箱に入った。

詳しくは電話(0848)63−2253  三原商工会議所内 三原浮城ライオンズクラブ事務局まで

もう9月。

2007/09/04 Tue
画像 662x497 87482byteアレヨあっという間にもう9月だ。

歳をとったからひと月、一年が早いのか、少し前の事をすぐ忘れるようになったから早く感じているのか・・・・・。
それとも場違いな雑煮をおととい食ったから正月を身近に考えたのか。
とにかく月日が経つのが早いってもんじゃない。

体が健康だから毎日毎日が早いのよ。 なんて、よく言われる。普段身体の調子を不思議に思わないで過ごしている事の大事さは歳を重ねる度に痛感する。
そしてとくにその事に気付くのは病院に行ったときだ。
仕事でもたまにそこには出向く事がある。 でも一応に気が重い。
小さな病院ならともかく、長い通路の内科の、あの待っている患者さんの目が嫌だ。
そんな気はないのだが、自分でもその椅子に座っていれば元気そうに歩いてくる人間をどうしても目が追っかけるだろう。
その人の健康を追いかけるのだ。 
通り抜ける人間もなるべく健康そうに見えないようにうつむき加減になる。
気をつかう。 だから病院は疲れる。

夏が終わる。
日ごとに涼しい風が吹く。 思わず家の窓を閉めに立つ。
そうかと言ってまだまだ入道雲だ。
一瞬、爆弾でも落ちたんかとビックリする位の、元気のいい入道雲だ。
もくもくと健康になりそうな入道雲だった。






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