「オマンは誰とよ?」
『ワシは、坂本龍馬ぜよ』
今日は、宮浦のポポロで年に一回の『商業界』という商売の勉強会の中・四国ブロックの三原同友会が主催する日である。
中・四国の中の同友会は14〜5あるが、三原は極端にメンバーが少ないので運営のその全てが大変であった。
特に集客はいくら一年前からの準備とは言え、800人近くを集めようと思えば他の同友会からの参加は期待してもせいぜい300人ちょっと。
あとの500人分を地元が頑張って集めなければならない。
会場が小さければ少ない人数でもカッコウにはなるが、それを許せないのが商売人の性か。
三原のリージョンでやれば他の同友会を入れてあと100人集めればいいだけだが、なまじポポロが改装したが為にしんどい集客をする羽目になった。
当日の講師陣の選択がまたまた大変。
マスコミで有名な先生は集客には有利だが当然その日を押さえるのに苦労する。
タレントもスケジュールの最後に取っとけば来場者の引止めには打ってつけだがギャラが会の総予算をすぐ飛び越える。
一年前からスッタモンダ折衝して結局決まったのが3ヶ月前の6月始めで4人の講師の為に実に26名の名前と交渉する事となった。
ハタから観れば何て言う事はないありきたりな先生達だが、これがなかなかある意味選びに選ばれた人達なのだ。
一番最初の人選の時には『竹中平蔵』の名前がでて2〜3ヶ月ジラされたあげく体よく断られた。何でも都内でのテレビ取材が入ったとか何とか。
宇宙に行った『毛利』さんも松下電器の会長も経団連のお偉いさんや終いにゃ何故か役者の『佐藤浩一』が知り合いにいるから女性客が集まりやすいだろう、商売の話なんかもうどうでも良くなって空席だけが不安な話ばかりに終始した。
今思えば『竹中平蔵』なんか呼んでたら大赤字でエライ事になってたぞなもしと、結構何やかやで集客が出来たもんだからそんな話もチラホラ出ていた。中には「ほんま、竹中みたいなエセ経済博士呼ばんでエカッタ〜。 他所に大笑いされとるとこで〜」と好き勝手な事を、あんなにあの時すがる様に講師を斡旋する事務所に懇願していたものを・・・・。
講師の最終決定をするには、わざわざ全国組織である『商業界』故にそのお偉いさんに許可をまず貰い、それから中・四国ブロックのまたまたお偉いさんに許可を貰い、そんでもってご丁寧に各同友会のメンバーが30名位三原のその会場のポポロに集まって最終の許可を貰う会議が5月の下旬にあった。
世にも恐ろしい、今まで聴いたことのない様な叱責、罵声が容赦なく浴びせられる。 三原の同友会のメンバーにだ。
苦労して苦労して内定したその4名の講師にいとも簡単にお偉いさんがこう言う。
『アカンアカン! アンタらこんな講師達でホンマ客を感動させられますのん? こんなんで出来る訳ありしませんやろ!! いますぐ他のを探さんかいな!」
勢いにまかせて隣の席のエライおば様がこう浴びせて来た。
『一体全体、何考えてんのー! あなた達は知恵と言うものがないのー!』
三原の皆んなが「じゃあ、誰呼んだらいいか、名前を言えよー」と、喉まで出掛かって、よ〜し止めた〜!と決めた瞬間、岡山同友会のひとりが、天の神様の如くこう言ってくれた。
『ま〜 三原の人もよう我慢するね〜 もうここまで言われるんなら、いっそ止めちゃった方がエエよ〜 うち(岡山)だったら止めるね。
今回小さい団体じゃけど無理して受けてくれた三原にそれはかわいそすぎるよ! 三原さん! 断りゃエエよ〜。』
それから一切お偉いさんは口をつぐんだ。
あの助け船がなければ、本当に今日はなかったかも知れない。
来年の開催地は、高知。
日帰りでなく2泊3日の昔ながらの「商業界」のスタイルに戻すらしい。
20年位前までは大小を問わず全国から商売人が何か掴もうと手弁当で『本ゼミナール』と呼ばれるこんな講習会がいろんな土地で開かれていたそうだ。
商売人が余裕がなくなって来ている現在年に一回のこの講習会の持つ意味合いも少しづつ変化して来ているのだろう。
只、そんな大バトルのあった会議でも腹も立ったり、ヤケ気味にもなったけれど「大の大人が、しかもあのおエライさんて90歳ちかいぜ、おば様だって現役の商売人でかなりのヤリ手と聞く。 こんなにまだ、熱いんだ。 他所がふがいなく思えてハッパかけてんだ〜」と思うと、何となく面白く見えてきたのも事実なのだ。 こんな昔かたぎのカチカチの商売人は今の体たらくな口先だけの商売人に腹を立ててるのだ。 それが最後の方では羨ましくも見えてきたから、世の中不思議だ。