「うちの子サイコー!」 「カワイすぎる〜!」
落ち着け、おちつけ!。
わるい、・・・っていうか、ごめん、ぜんぜん可愛くないと思うけど・・・。
親の欲目とはよく言ったもので、世間一般で言う『カワイイ』は、今の時代も昔の時代も誰しも感じる平均的な『美意識』とはかけ離れた、世界は自分達ファミリーだけの世界観をもったパパとママからもたらされる。
当然見た目のカワイさとは別に、自分の子、特にお腹を痛めて生んだ子となれば、言わずと知れたこと、かわいくない筈がない。
目に入れても痛くない、でしょう。
それにしても最近の子供の名前は、キャバレーのおネエちゃんじゃあるまいし、風俗の源氏名じゃあるまいし、洒落た喫茶店じゃなかろうにおよそ自分の名前を漢字で書けるのが小学校3,4年生になるであろう、そんな複雑怪奇な当て字のアテジの名前の子供だらけになった。
きっと小学一年生の最初の出席名簿は、名前を間違って保護者の前で呼ぼうものならその日間違いなく、その子のパパに、ママに校長室で吊るし上げに会うだろう。
つい先日も給食のパンを喉につまらせて子供が亡くなった。
さあ、誰の責任なんだ?
早く食べろとゲームの様にせかした友達が悪いのか? それともそれに気付かなかった先生なのか? いつもパンばかり食わせやがる国の教育がいけなかったのか? そうだ、テレビの早食い番組が悪かったのか?
いいや、そうじゃあない。
いけなかったのは、その亡くなった本人だ。
この場面に限らず、いくらいじめられようが、叩かれようがぶたれようが、立ち向かわなかった自分が悪いのだ。
親に、先生に相談しなかった子供、同僚や上司に掛け合えなかったその弱い本人の責任だ。
それをやれ誰の責任だ、どこの責任だと叫ぶ親は、確かに悔しさばかりだろうが自分の家族の弱さに気付くべきだと思う。
極論だが、人ひとり、死ぬ間際の土壇場になれば結果死んだとしても何かしら一矢報いて死ねる。
自然災害や不慮の事故はしょうがないにしても、自分の隣で正に殺されようとする人に何の手助けもできず、私は「ハァ〜 危機一髪でした!」なんて言えない。
肉親や家族に身の危険が及べば、家長としてその凶器に背中を向けてスタコラも出来ない。
いきなりすぐ刺されようが、撃たれようが何かはシタイ!。
東京で脳内出血の妊婦が病院8件のタライ回しに遭った挙句亡くなった。
「あそこのせいだ、私はこう言った、いいやウチはこう聞いている!」
遠巻きにニュースを見ている僕たちは、結局何も出来ず只テレビの前で怒って、嘆いているだけだ。
結局そう時代を批判しても来月の初めには忘れているんじゃ、その病院達と僕達は同じだ。
只、その時アドレナリンを熱くしただけ。
只、少しの正義をみせただけ。
ただ、勢い良くキーボードを叩いただけなのか。